高校教師が革細工職人になるまで

革細工職人になるまでの経緯

僕が革細工を始めたのはちょうど20歳。

きっかけはお財布を無くしまくったこと。

とにかくよくお財布を無くしました。

お財布を無くして交番に行き、手続きを済ませて、

次の日に警察から”見つかりました”と連絡がありました。

取りに行って渡されたのは、

交番に行った帰りに落としたであろう、とりあえずのお財布。

要は2つ連続で落としたということですね。

こんな風に、本当によくお財布を無くしたのです。

そんな時に、母から”そんななくすなら自分で作れ”と言われ、

革細工が少しできる人を紹介されました。

本当に基礎的な知識を教えてもらい、革細工の世界へ。

初めて作ったロングウォレット

当時、SNSがそこまで普及されてなかったので、

YAHOO検索で”レザーウォレット”と検索して、

出てきたお財布をお手本にしていました。

そのとき、最も気に入って真似していた画像が↓です。

cottage スペシャルウォレット
(画像をクリックするとHPに飛べます)

革のこともお財布のことも何もわからないし、

どこの誰が作っているのかもわからなかったですが、

とても魅力的に感じたことを覚えています。

一つ目のお財布を作り終えて、

とんでもない達成感と、

夢中になっている自分がいました。

そこから、いろんな人に作っては渡してを繰り返し、

とても良い趣味になりました。

教師2年目の夏、なんとなく違和感を感じてきていました。

仕事はもちろん楽しいし、人間関係もすこぶる良好。

何のストレスもない。

でも何か違う。自分の本当にしたいことは何だろう。

自分の命を一番有効に使えることって何だろう。

こんなことばかり考えていました。

そんな時に、弟がずっと続けていた社会人野球を辞め、

プロ野球選手の夢も捨て、

”ジーンズ職人になりたいから岡山行って修行してくるわ”って。

心の中で一番楽しいことが革細工って

わかってて行動できていない僕の背中を

抜かしていく弟の姿がありました。

そして、後を追うように革細工職人への道の方向を

やっと向けた自分がいました。

こんなことがあるから

宇宙兄弟のムッちゃんが本当に自分と重なるんですよね。

そこからは、浅草へ行って、皮革関係の人に話を聞いたり、

いろんな革の会社に連絡を取り始めました。

が、そんな良い話もなく。

そんな時に、仲の良い従兄から連絡があり、

”知り合いの革細工屋さんに連れていく”とのこと。

当日、緊張しながらお店に入ると、

スクールの真っ最中で生徒さんが4名ほどいました。

”革細工職人になりたい”と伝えたところ、

”辞めたほうがいい”とストレートに言われたこと覚えています。

スクールの人たちも笑いながら”大変だと思うよ”って。

でも、僕の腹の中では、それになることは決まってたし、

誰に何を言われても別に変ることはなかったです。

スクールが終わったらもう少し話そうか

と言っていただいたので、お店の中で待つことに。

いろいろ見ていると、

そこには僕がずっと憧れていたあの画像の財布が

目の前に置いてありました。

その瞬間、運命的なものを感じると同時に

”ここで教えてもらいたい”と強く思いました。

スクールが終わり、いろいろな話をしてくれましたが、

なかなかここで習いたいとは言えず、帰ることに。

帰りに本屋に寄り、

レザークラフトオーソリティという雑誌を買いました。

帰って開いてみると、デ

カデカと特集されている今日会った職人さん。

やっぱりすごい人なんだ。

次の日、仕事を途中でサボり、昨日のお店へ。

スクールに入ることで弟子入りを申し入れました。

そこから、教師の仕事を続けながら、

毎日毎日夜中までアホみたいに作って、

気が付けば、あっという間に2年半が過ぎていました。

弟子入り前のミニウォレット
弟子入り1年後のミニウォレット

そして、COTTAGE出身の職人として2021年4月に

念願の独立を果たしました。

屋号はHand Made Leather Craft THE CHILD MIND。

屋号の由来は、まずブルーハーツみたいに世代を超えて

愛されるものを作りたいということでTHEをつけて3くくりに。

僕自身、精神年齢が激低なので

子供心という意味でCHILD MIND。

あとは師匠の屋号を少し頂いて、この屋号になりました。

プロ野球選手になろうとして、高校野球の監督になろうとして、

結局なったのが、想像もしなかった革細工職人。

夢にも思わなかった人生を今、

歩んでいることがたまらなく楽しいです。

”なんで教師を辞めて革なの?”そんなことをよく聞かれます。

少し恥ずかしいですが、

僕は教師をしているよりも、革細工をしていたほうが、

より多くの人を幸せにできると感じたから

この仕事を選びました。